movie_99’s diary

映画や音楽やらの感想をぼちぼちと。

【映画レビュー】『リメンバー・ミー』

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ピクサーはカールじいさんが風船で空を飛んでから以来、一歩大人向きな作風になった印象だ。その要因はいろいろあるが、一番は「死」というものを作品内で感じさせるようになったからだろう。そう考えても「カールじいさんの空飛ぶ家」は相当ダークな映画であった。ピクサー映画で血と銃が出てきて、作品内で人も事実上かなり死んでいる。「カールじいさんの空飛ぶ家」が全編にわたって語るのは正に「死」と「思い出」だ。それを残酷に、しかし生きていく上で誰でも避けられないものとして描いている。誰にでも死は訪れ、そして思い出へと変化していくのだ。そして、今回の「リメンバー・ミー」も正にそんな映画であった。

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監督のリー・アンクリッチの前作「トイストーリー3」でもその死の香りはクライマックスに。あのクライマックスの焼却炉にはたしかに死があった。今回は正にその「死」こそがテーマだ。なんせ物語の舞台はメキシコの死者の日。「007 スペクター」の冒頭に出てきたあれだ。この死者の日の亡くなった人に関する考えが、言ってみれば、日本のお盆などとほぼ一緒なのである。その日だけ死者は家族のもとへ帰省する。そのことが今回は物語上大きな仕掛けであり、軸になっている。

死者が最も恐れること。それは生者に忘れ去られてしまうということだ。思えば近年のピクサー作品の登場人物は、誰かに忘れ去られないように必死にもがいていた。それは「トイストーリー3」のおもちゃたちであり、「インサイドヘッド」のビンボンであり。忘れられる=死という映画だった。今作も、現世から去る死と忘れ去られる死の二段階がある。実は近年のピクサーが提示してきた価値観であり、「死」というものへの考え方が、一貫されているのである。

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この映画、実は物語が進むにつれて非常にミニマムにまとまっていく映画なのだが、寧ろだからこそ散りばめられるメタファーと伏線は盛りだくさんだ。特に、この映画もまた現在のアメリカの流れにある多様性のお話となっている。あの家族の音楽への価値観を、宗教に変えて見たらどうであろう。全然現実で通じる話だし、現にこの間も「ビッグシック ぼくたちの大いなる目覚め」がやっていた(ビッグシックとはかなり共通項の多い作品だと思う)。この現代的な側面が説教くさくなく、全面にわかりやすく描写できるのもこの物語のミニマムさとまとまりやすさ故だろう。この辺りの主張もとてもスマートなのだ。一枚の写真を巡っていくという話運びもとてもわかりやすく面白いあたりだ。

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予告編でも何度も聞かされた「リメンバー・ミー」という曲。どういう曲か分かってるはずなのに、ラストの使い方には号泣させられた。

Remember me 

僕のことを覚えていて

Though I have to travel far 

遠くに旅に出なければならないけど

Remember me  

僕のことを覚えていて

Each time you hear a sad guitar 

悲しいギターの歌を聴くたびに

Know that I’m with you the only way that I can be 

僕は君と一緒にいることを知っておいて

Until you’re in my arms again 

君をもう一度僕の腕で抱きしめるまで

Remember me 

僕のことを覚えていて

これが誰に向けて作られた曲か。後から思い出すと味わい深い。実は大切な人のもとに帰れなかった男が、もう一度帰る話でもあるのだ。正にレクイエムという言葉がふさわしいこの曲が、歌われるべき人にやっと歌われたあの瞬間は、この映画でも特別な時間だろう。まんまと「リメンバー・ミー」に泣かされたのだ。

 

 

【映画レビュー】『聖なる鹿殺し』

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なんとも言葉にし難い映画だ。「籠の中の乙女」「ロブスター」に続く、ギリシャ出身のヨルゴス・ランティモス(しかもまだ44歳!)新作は、不条理で邪悪な悪夢を、鋭く大胆な映像で見せられる傑作だった。監督がギリシア出身ということで、ギリシャ神話をかなりベースにしているらしく、その辺りに関しては自分はあまり詳しくないので、詳しい解説を読みたいところ。

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それこそ劇中のセリフ通り「全てがメタファー」な映画ではあるのだが、それでもトリッキーな前2作よりも、プロット自体は非常にわかりやすくなっていたというのが印象的だった。お話の展開自体はとてもわかりやすく、どちらかというとそこから何を説明して、何を謎のままにしておくかをとても意識している。この辺りの取捨選択がさすがランティモス監督。彼の映像の特徴である画面のフレームイン、フレームアウトのように、物語自体も、何を隠して、何を明らかにするかが、観客に投げっぱなしにしているのではなく、宙吊り感と終わらない悪夢の表現と一致している。

この映画を見て連想したのは深田晃司監督の「淵に立つ」という作品だ。これも、過去に犯した罪を背負った主人公の家族に、他人が介入してきたことにより起こる呪いの物語。向かってる方向は違えど、プロット自体はとても似ていると思った。しかし、今回明らかに異質なのは登場人物たちの無機物感。これが今回はズバ抜けている。あたかも登場人物全員が感情ではなく「ルール」に従っている、従わなければならなくなっているようだ。このどうしようもなさ、機械的に止められない感覚は、ファーストショットの、鼓動が止まらず動き続ける心臓と同じだ。取り返しのつくものとつかないもの。それらを見誤ってしまった人の物語だった。

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そして、今作のジョーカーであるバリー・コーガンの怪演を筆頭に、予想以上に役者の映画であったとも思う。コリン・ファレルの真顔から静かに狂っていく様(この間のビガイルドを連想させる)や受けの演技に徹したニコール・キッドマンの素晴らしさなどなど。この役者陣の、冷めきった、エモーショナルを全く感じさせない演技が、この映画の異質な空気に効果的に働いていた。あと、個人的にはアリシア・シルヴァーストーンの変わり果てた姿にびっくりした。久々に見たなほんとに。

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観客に解釈を委ねる作品は数あれど、それが所謂怖さに繋がる作品は久々だ。この悪夢がいつまで続くのか。多分あの地獄のロシアンルーレットが終わっても延々と続く。長女が中盤歌うのはエレン・ゴールディングの「Burn」。正に消えない炎のように、この悪夢も燃え続けるのだろう。

 

 

 

 

 

2018年の音楽(1月、2月)

これからその月にリリース、発表された主な音楽を月ごとにまとめるということをやろうと思うのだが、とりあえずここでは、年明けから1月、2月の音楽をまとめておく。

 

 

まず、2017年の音楽界を記録も兼ねてざっと振り返っておきたい。Apple Musicですら過去のものになり、Spotifyなどのストリーミング無双が進んでいた2017年は、とっくに始まっていたヒップホップ化が世界的に、そして大衆的に決定的になった年であった。それは去年のグラミーを見てみても、ベストラップアルバムの枠を超え、ケンドリックラマーが最多ノミネートを果たしたり、全体をヒップホップやオルタナティブR&Bをはじめとする非白人音楽のノミネーションが占めていたのが象徴的だ。勿論、個人的にはロジックやXXXテンタシオンなどの若手たちの存在と活躍が、一概に非白人の人たちだけの活躍とは言えない(ロジックに関しては黒人系の血も混じっているが)と思うのだが、ブラックミュージックに対する世界の熱の高まりようはここ最近でも「ブラックパンサー」のヒットなど、音楽以外のところでも見えるほど、高まっている。

 

その中、そのようなヒップホップやR&Bが「普通に」当たるようになっているのが、前提として2018年はあるのだと思うのだが、その1月に早速出た、カミラカベロとミーゴスも当然のようにストリーミングで結果を出し前者は日本でもパフォーマンスされたほど、ムーブメントを国内でも起こした。前者のヤングサグと組むセンスや従来のR&Bとは一本線を引いたようなポップス的なサウンドで、フィフスハーモニー脱退以降の自身の音楽性を少しだが定められたアルバムであったと思う。後者のミーゴスは「culture」よりかはパンチが効いてない感覚もいささかするが、彼の不良性と凶暴さで綴られたリリックの嵐は相変わらずとても濃厚であった。

 

そんな中、2月に発表されたジャスティン・ティンバーレイクの新譜には驚くと同時に2018年最初のベスト級が投下されたと思った。前述したような、音楽界のブラックミュージックや非白人音楽のムーブメントの中で、ディズニーチャンネル出身で、インシンクの元メンバーの彼が、ネイティブアメリカンの血も混じっていながらも、根っからの白人であり、人種的にはマジョリティである自分の今のポップカルチャーの渦中にいる立場を自虐的に歌ったこのアルバムはとてもセンセーショナルであり、今の時代では一周回って新鮮な視点を持った作品となっていた。それでいて音楽自体の革新性と大衆性も持ち合わせる凄技を繰り出せるのは彼だけだろう。現にこのアルバムはビルボードで初登場一位になるなど、世間的にもヒットしたアルバムとなった。俳優業も惜しみなくやり今年はウディ・アレンの新作も控えてる彼は、一方でスーパーボウルのパフォーマンスのホログラムでのプリンス追悼など、我々の想像していないことに手をつけ、魅せきる。この彼のポップアイドル性は音楽界でどのようなムーブメントが起こったとしても変わらないものだと改めて証明されたのではないか。

このアルバムに関しては宇野さんのこの記事がとても詳しいので、聞いた人は是非参考に。

 

あと、個人的には2月にベスト級がもう一つ。それはケンドリック・ラマーによる「black panther the albam」だ。映画「ブラックパンサー」のインスパイアアルバムとして発表されたこのディスクは映画内で流れる数曲も含む、14曲で構成されたアルバムだが、確実に映画とは別のところで、ケンドリック・ラマー自身が新しいコンセプトを持って完成させてしまった、正に彼の新たな傑作と言っても過言ではない完成度を誇ってしまった作品だった。SZAやザ・ウィークエンドなど豪華なアーティストの中、それぞれ一曲一曲のハイクオリティさとアルバム全体の構成力は今回も抜群である。同時にこの中の代表曲「ALL THE STARS」をはじめとした楽曲は、精神性自体は初期の「To Pimp A Butterfly」における「Alright」に似ている。正に「DAMN」以降というよりは、初期より大事にしてきた、「飛躍と肯定」を大事にした印象のアルバムだった。

 

 

あとはMGMTやフランツフェルディナンドの新譜も注目だが、個人的には両作品ともあともう一押し欲しい感じであった。普通に悪くはないのだが、何か食い足りなさ、物足りなさが残ってしまうアルバムであった。

 

 

 

国内で個人的に注目はやはり小沢健二星野源だろう。「アルペジオ( きっと魔法のトンネルの先)」は曲としてのかっこよさもさることながら、最早自身が高い山にいたであろう90年代に向き合い送ったポエムであり、「今でもすごい人」岡崎京子( Mステ出演時の小沢健二の発言)へのラブレターでもある。このポエトニックかつエモーショナルな小沢健二のメロディと、二階堂ふみ吉沢亮という若い世代に託す「語り」にグッとくる。この「語り」に関してはシングルに収録されている満島ひかりとの「ラブリー」も同じことが言える。

星野源の「ドラえもん」は凄くいい。ドラえもんの世界や映画のお話を描くリリックではなく、今回はあくまで我々から見たドラえもんという世界のお話であり、彼なりのドラえもん論にしっかりなっているのが素晴らしい。「少しだけ不思議な普段のお話」という歌詞の普段という言葉が醸す現在性、我々と一緒に時を進んでいる感の先に「いつか時が流れて必ずたどり着けたら君を作るよ」という歌詞があるからこそ、その時間の流れにグッとくるのである。勿論このサビの歌詞は、ファンが考えた伝説の最終回と言われる「のび太が将来ドラえもんを発明する」というエピソードに引っ掛けてるわけだが、この普段から、普通からの飛躍こそ「ドラえもん」であるということが、この曲自体の構成自体で浮き彫りになっていくのが見事だと思った。

 

 

ドラえもん

ドラえもん

 

1月、2月に関してはこのような感じ。文量がかなり多くなってしまったが、3月からは1ヶ月単位でまとめていくので、恐らくここまで書かずざっと記録程度になっていくと思う。これを1年間続けて、年末にそれを見返しその年を振り返れたらなと思っている。

 

 

 

【映画レビュー】『シェイプ・オブ・ウォーター』

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つい先日、第90回アカデミー賞で、見事作品賞に輝いた本作。自分も、WOWOWのソーシャルビューイングで落涙していた町山さんほどではなかったが、この結果には興奮した。それはひとえに、ここ最近かぶることなかった作品賞と監督賞の受賞が一致した、そしてそれがギレルモ・デル・トロだったというところだ。彼が受賞したことは、例えば同じくマニアック系の映画監督でもタランティーノが毎回脚本賞あたりに名を連ねてるのとは全く別の話であり、別の意味を持っているのは明らかだ。これはよくできた物語や社会性だけが必ずしも映画の面白さや評価すべきところではないというのの証明になったのではないかと思っている。

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もっとも今作はその物語もよくできている。言葉をなんらかの理由で失ってしまった女性が、同じく人間の言葉を持たない異種のものと、通じ合い、ダブルミーニングで「傷」が癒されていく物語だ。正に「キングコング」「美女と野獣」「シュレック」などなどが繰り返し描いて来たものへの、デル・トロのアンサーにとれる。側から見ればネガティブなハンデのように見えるものでも、それが見方を変えれば特別なものへと変化する、そしてそれによって、今作で描かれる愛のように、幸福に繋がっていくこともあるのだという。彼らにしかわからない赤い糸が徐々に側から見てる我々に見えていく感覚は唯一無二のものであり、デル・トロはそれを描ききったと言えると思う。

もう少し、タイトルにあるシェイプ(形)に絡ませて話をすると、この映画の登場人物は常に見た目を気にしている。サリー・ホーキンス演じる女性は毎日靴を磨き、リチャード・ジェンキンス演じる隣人はカツラを気にかけている。そんな見た目というある種型にはまった形が半魚人と出会ったことで徐々に剥がれていく。靴を捨て、髪も生えてくる。一方、マイケル・シャノン演じる、悪役といってもいいであろうこのキャラクターはその自分の形を壊されて暴走していく。小便の時に絶対に使わない手を引きちぎられ、新車を壊され(この車に関しては買った直後に明確に彼が他人の目を気にするシークエンスが入る)。だが、何よりも彼が壊されて我慢できなかったのは、自分が今まで築いてきた、信頼とイメージである。そこに、彼の組織の中の肩身の狭さ、脆さが現れていて、悪役ながら非常に人間味のあるキャラクターになっている。故に終盤の狂気のような焦りっぷりにも説得力がある。そんな型という名の形に振り回されていった人と、それを脱却し愛をつかもうとした人の物語として、とても面白く見応えがあった。

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しかし、それ以上にこの映画の魅力は、徹底された映像美とディテールだ。これに尽きる。デル・トロ作品のディテールのこだわりようは勿論過去作品を見ても圧巻だ。「ヘルボーイ」「ヘルボーイ ゴールデンアーミー」「ブレイド」などのヒーローものから「パンズラビリンス」や「パシフィックリム」まで、様々なファンタジーを構築してきた彼だからこそできる技だが、その世界観を一つ残らず舐め尽くすカメラも今回は絶品。ダン・ローストセンの映し出す緑と黒の世界は正に極上の美しさであった。シルエットや水滴を映す際のセンスもさることながら、この映画の水が一概に青ではなく、緑っぽいのが素晴らしい。ここは一概に撮影ではなくカラリストの仕事なのだろうが、ここの水の色が、「大アマゾンの半魚人」のアマゾンを明らかに意識しているのだが、その世界観の徹底っぷりに感動し、とても引き込まれた。

1962年という時代背景も良い。ソ連との冷戦下のアメリカが舞台ということで、ラブストーリーと同時に流れるのは意外にもポリティカルサスペンス的な空気感だ。このサスペンス部分の堂々とした佇まいとスリリングな攻防戦、クラシカルなルックも評価されるべき点だろう。

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デル・トロが作り出すフィクションはどこまでもファンタジーなのだが、同時に、毎回デル・トロ作品の登場人物は自分の信じているもの、信じたいものの方を取るという話をやっていると思う。それはデル・トロ自身が自分の好きなものを信じて映画を作り続けてることとも重なる。そしてその信じ続けてきたものが先日現実になった。オスカー像を片手に満面の笑みで壇上にあがる彼を見て、人の夢が叶った瞬間を見たと思った。正に形にとらわれ続けなかった男が、本当に作りたかったものを作り続けた男が手にした勝利だ。素直に喜ぶしかない。

言葉を持たないプリンセスの話をどう語るべきか?

彼みたいな人が映画を撮り続けてくれれば言葉などいらないと思わせる。素晴らしい傑作であった。

 

 

【映画レビュー】『ブラックパンサー』

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2018年に何があったか?

これからこの年のことを振り返る上で「ブラックパンサー」の名前を挙げないことはないだろう。正に今年を、そしてリアルタイムを象徴するポップカルチャー史の一つの進化を見たと言っても過言ではない。この映画で、MCUおよびディズニーは、映画、音楽を含むエンタメと現代のトレンドを更新しながら、現代のデリケートなアメリカへ切り込んでいくことを見事達成してしまった。

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ここ最近のMCUは実はそこまで調子がいいわけではなく、去年は特に一連の作品の興収を見ても、大衆の飽きがはっきり見えてしまうほど、過去の作品と比べると低調であった。その中、今回の「ブラックパンサー」が今アメリカで記録的ヒットを飛ばしているのは、現代性の一歩先を行ったテーマとトレンドの的確な捉え方によるものだろう。それらがとても高いレベルでMCUという現状最大のユニバースに含まれたということ。これがまずとんでもないことなのだ。

 

それを実現させてしまったライアン・クーグラーはまだ31歳の若手黒人監督。彼の作品のエモーショナルで熱い仕上がり故にその印象はあまりなかったが、実はそもそもブラックコミュニティについての問題提起は根本のテーマ、作家性として前々からあった人だったと気づく。なんせ元々デビュー作の「フルートベール駅で」は白人警官に理不尽に若くして射殺されてしまった黒人青年の事件が起こるまでの1日を描いた作品である。2作目の「クリード」も一見それらの作品とは離れて見えるが、独学的な黒人ストリート文化のミキシングや、アドニスの今までの人生の余白で、そのようなブラックコミュニティに対するアメリカの香りをほんの少し漂わせる。そんな彼の過去作を見ていても今回の流れは大いに納得だが、本作はその彼のテーマを主軸に、さらに前進したメッセージを描いている。

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前述したクーグラーのデビュー作「フルートベール駅で」も含め、差別や偏見へ問題提起をする映画、音楽は現在山のようにある。だが、この映画はそこから一歩進み、傍観する第三者に対してのメッセージにもなっている。自分のコミュニティしか見ていない人たちに向かい、お前らが見ているのが世界の全てではない、何ならそこ以外のところに現実はあるのじゃないかと訴えかけてくる。これは、人種差別や偏見を比較的あまり身近に感じない我々日本人にこそ刺さるテーマである。もう少し世界に目を向けて行くべきというのは、今の日本のエンタメ業界も含め、様々なものに当てはまっていくのではないか。

そして今回面白いのは、その映画が語っているテーマを悪役に語らせるという物語構造だ。この訴えが同時に今回のヴィランの動機になり、正に上記の第三者的なブラックパンサーがその矛先になっていくのだ。この構造がとても斬新であると同時に、このヴィランのバックボーンと、それを含んだ脚本の凄まじさはMCU史上どころか、映画史上に残ると言っても過言ではないだろう。なぜ彼がダークサイドに堕ちていってしまったのか。そこには何もしてこなかった罪、そしてそれによって奪われた命、そこからの怒りがあり、これらに向き合うことでブラックパンサーは、本当のヒーローとして、リーダーとして目覚めていく。正に現代の我々vs蘇った現代のマルコムXといったところか。そこから彼らの「正しさ」を巡る哀しき闘いにどんなに胸が締め付けられたか。

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彼らの争い巡る「正しさ」と、我々に問いかけてくる課題は正にとてもリアリティがあり、現代ならでは行き着いた領域だ。だからこそ、ラストの2人が見るワカンダの景観に涙する。序盤のワカンダも確かに美しいが、ラストに映されるあの景色は、正に本当の意味での理想郷であり、我々の目指すべき景色だ。それをヴィランの彼にも見せてあげるライアン・クーグラーの優しさにとんでもない量の涙が出た。

 

This may be the night that my dreams might let me know
今夜は夢に近づく夜かもしれない
All the stars are closer, all the stars are closer, all the stars are closer
だってすべての星たちがすぐそこに、近づいている
This may be the night that my dreams might let me know
今夜は夢に近づく夜かもしれない
All the stars are closer, all the stars are closer, all the stars are closer
だってすべての星たちがすぐそこに、近づいている

                                       〜ALL THE STARS〜

エンディングでケンドリック・ラマーとSZAが歌う、すぐそこにある手の届きそうな星こそ、ラストに映るワカンダである。この世界の理想を宇宙として歌い上げるこの曲を筆頭に、この映画でケンドリック・ラマーの作ったサウンドも同時にこれから残っていくであろう。音楽、映画、ヒーロー、国、歴史、世界。全ては一直線に現実に繋がっていく。そこで改めて、フィクションの偉大さにひれ伏せる。この世界に、この時代に生まれた物語として、どこまでも希望的で、どこまでも突き刺さる。国から世界へ。1992年から2018年へ。これから未来永劫語り継いでくべき大傑作だ。

 

【映画レビュー】『ダウンサイズ』

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アレクサンダー・ペインは現代のアメリカ人監督でも個人的には指折りにお気に入りの監督である。近年、固定のファンがついており、ここ3作品は全てオスカーにノミネートされているなど、批評家の信頼も確立してきてはいたのだが、今作「ダウンサイズ」に関しては、向こうでも興行的にも批評的にも振るわない結果となってしまった。監督久々の不発作といって申し分ないだろう。ただ、実際見てみると、やはりどこまでもペイン的なアイロニーと優しさに満ちたヒューマンドラマの秀作であったことをここに伝えておきたい。事前の評判だけでスルーするのにはあまりに勿体無い逸品であった。

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アレクサンダー・ペインといえば、個人的にはミニマムだが地味に感動させる作品を撮らせたら右に出るものはいない作家であると思っている。話自体は非常に地味、なんならなんてことのない話を、積み重ね積み重ねの演出と不意に訪れる変化に、いつも涙腺を刺激されている。そしてそれは今回の「ダウンサイズ」でも健在である。設定こそ突飛だが、お話自体はなんてことのないミニマムな物語に収めてるあたりとても信頼や安心感がある。そして今回も、主人公の選択についての話に的を絞っていくシンプルさも含めてどこまでもペイン的だ。何を選んでどこに止まるか。主人公が正しい判断をするまでのお話である。これに2時間もかけてしまうのが、そしてそれなのに退屈にならないのはペインにしか出来ない技だ。

変化の見せ方がとても映画的であるのもペインの特徴だ。絶対に登場人物の変化をセリフに託すことなどペインはしない。それは「ファミリーツリー」の毛布であったり、「ネブラスカ 二つの心をつなぐ旅」の帽子がそうであるように。今回も、お弁当であったり、雨であったり、歩くこと、走ることで見せている。この不意に訪れる変化に泣きそうになるのだ。この一ミリずつ進んでいる感じがペイン作品全体のナチュラルな心地よさに繋がっているのではと感じさせる。

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アレクサンダー・ペイン十八番のロードムービー要素も、しっかり盛り込まれており、ここの部分が他の作品に比べて若干冗長に感じる気もしないでもないが、このシークエンスこそ、旅や川のスケールの巨大さと、彼ら自身と物語のミニマムさ、小ささみたいなものと、うまくお互い効き合っているところだ。ここのただ船旅をするシークエンスのおかしさこそ、この全体の突飛なSF設定が効いてくる場面なのである。ペインはここも油断しないのかと脱帽する。

キャストのおかしさにも触れておきたい。マット・デイモンの純粋な演技の素晴らしさ、クリストフ・ヴァルツの使い方の正しさ、ホン・チャウの熱演と見所が多い。さらに脇にクリステン・ウィグウド・キアー、ニール・パトリック・ハリスジェイソン・サダイキス、一瞬だがマーゴ・マーチン・デールまで出てくる豪華っぷりだ。彼らの使い方のセンスも抜群で、このバイブスが本当に素晴らしかった。あとどうでもいいが、ホン・チャウの8種類のファックのセリフは今年ベストセリフかというぐらい最高であった。あのセリフは表彰したい。

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前述したようにロードムービー的展開になることが多いペイン作品の登場人物は毎回旅をする。その中で描かれるのはやたら右往左往する登場人物。そんな彼らが、いるべき場所にとどまるまでのお話でもあるのだ。今作も離婚やら仕事やらで右往左往していたマット・デイモンはいるべき場所に収まる。この収まり方が今作は特に感動的だ。雨の中彼は走り続ける。もう走れない人の分も。これだけなんてことないのに映像的で感動的なラストはない。確かにペインの近作の中では薄口ではあるし、決して万人に開かれた作品ではないが、地味ながら奥深い映画的な感動が待っている安定のアレクサンダー・ペインの新作を見逃す手はないのではないか。自分は大好きな映画だ。

 

【映画レビュー】『ビッグシック ぼくたちの大いなる目覚め』

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自分はアパトーギャング贔屓の人間なので、ジャド・アパトーがプロデュースに入っている今作も外せない映画だったわけだが。今作で重要なのはむしろプロデュースのジャド・アパトーよりも、主演のクメイル・ナンジアニの実話であるというところかもしれない。彼はアメリカでは名の知れているコメディアンで、最近ではNetflixのドラマ「マスターオブゼロ」のアジズ・アンサリらとともに、移民系、民族系コメディアンとしてブレイクしてきている。そんな彼の実際にあった恋愛話を自身が脚本を書き、自身が本人役を演じたのが本作だ。

彼は実際に自身の民族や経験を自虐的にネタにして芸を披露していくわけだが、まずこの彼の普段のスタンダップコメディの精神性が、この映画の、自身の話を語るどこまでも「自虐的」なプロットの精神性にマッチしている。自分の話をどう語るかにおいて彼は普段のコメディ芸の時点で長けているのである。そしてその脚本が先日行われたアカデミー賞脚本賞にノミネートされたのもすごい話だ。

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この脚本の素晴らしさは挙げるときりがないのだが、一つは実話を元にした、正に自伝的内容にもかかわらず、近年の映画のトレンドを加味した上で普遍的な物語として機能している点であろう。人種の物語と思わせて、シリアスな難病ものになり、ラストはストレートなロマンティックコメディに着地していく、このストーリーテリングのスライドのスムースさと豊かさは映画的としか言いようがない見心地の良さがある。さらに、現代で語るのであれば、人種についての問題提起を掘り下げそうなものなのだが、敢えてそうせず、より普遍的な「自立」と「けじめ」の物語を語り、寧ろそこから掘り下げすぎない程度にバランスを測った映画でもある。このチャーミングさとあざとくなさがとても心地の良いドラマを生んでいる要因である。

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あと、もう一つ素晴らしいのは役者陣だ。主演のクメイル・ナンジアニとヒロインのゾーイ・カザンのやり取りはいつまでも見ていられる愉快さであった。「50回目のファーストキス」のアダム・サンドラードリュー・バリモア同様、ラブコメにおいての主演二人のケミストリーはとても重要であり、その点においても今回はクリアしている。と同時に、彼らと合わせ鏡のようになる夫婦であり、ヒロインの両親を演じたホリー・ハンターとレイ・ロマノも名演であった。後半は彼ら中心に物語が動いていく中、変人らしさと人間らしさを兼ね備えた演技で、クメイルと徐々に打ち解けていく様に妙な説得力を与えていた。単純に巧すぎる。その他の脇役もそれぞれ見所があり、見ているだけでとても面白かった。芸人仲間の彼らとか、つくづく最高である。

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同時に、最終的にはやはりジャド・アパトーのプロデュースセンスに恐れ入る。ここで、クメイル・ナンジアニを引っ張り上げ、自身も完全な大人向けコメディ作家として、今回はストレートなロマンティックコメディを手がける、彼の目の確かさはやはり今のハリウッドでもずば抜けていると感じさせる。今回見てて彼の手がけた過去作で連想したのは「素敵な人生の終わり方」という2008年の監督作である(日本ではビデオスルー )。アダム・サンドラー演じる余命僅かのスタンダップコメディアンが自身の人生に目を向けていく人間ドラマの秀作だが、この映画で既に芸人の活動事情などを赤裸々に描いていた。なんせ自身もスタンダップコメディ出身というキャリアだ。Netflixに彼のスタンダップコメディが入っているので興味のある人はこの映画と合わせて見てもらいたい。

 

まずは自己紹介を。出身はパキスタン

みんなに聞かれます。どんな国?

こことほぼ同じです。

野球のピリ辛版のクリケットで遊び、1日に5回だけお祈りを捧げる。そして親が見つけた相手と見合い結婚を。あと「ナイトライダー」が遅れて放送される。今エピソード2が放送されたところです。

それ以外は全く同じです。 〜映画冒頭より〜

 

正に、人種や性別や価値観は違うけど、「それ以外は」同じ人たちの物語。この冒頭で流れた彼のスタンダップコメディ通りの物語であった。そして、そんな彼だからこそ書けたであろう、気の利いた見事なラスト。あの二人の表情。忘れない。素晴らしい映画であった。