movie_99’s diary

映画や音楽やらの感想をぼちぼちと。

【映画レビュー】『ボス・ベイビー』

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ドリームワークスアニメーション作品だ。劇場で最後に見たのは多分小学生の時に見た「ヒックとドラゴン」だろう。いや、ここ数年のドリームワークスも面白いのが多いのだが、劇場公開がなかなかされないのだ。「カンフーパンダ3」「メガマインド」あたりはストリーミング配信になってしまった。まあ自分は、結構初期の「シュレック」かアードマンと組んで作った「チキンラン」がベストなのだが、それでもこのような現状なのは結構寂しく思っていた(現に去年の「Captain Underpants」も一切公開、ストリーミングのアナウンスがされてない)。そんな中、今回の「ボス・ベイビー」が無事劇場公開され、日本で大ヒットしている事実は素直に嬉しいところだ。自分が見に行った回も満席であった。それに加え、今回の「ボス・ベイビー」は従来のドリームワークスというより、チャック・ジョーンズが60年代あたりから積み重ねてきた、ワーナー・ブラザースアニメのスピリットを感じさせる作りだったのも、個人的にはもう一つ嬉しいあたりだった。

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近年でワーナーアニメの感覚をオマージュしていた作品としては、クリストファー・ミラー&フィル・ロードの監督、プロデュースのアニメ作品があるだろう。「くもりときどきミートボール」「レゴ・ムービー」「コウノトリ大作戦」。このワーナーアニメオマージュというのは、数分に一回起きるギャグと伏線、とにかく情報量の多い画面、ハイテンションなアクションとキャラクターにあると思う。そして、今作でもそれは受け継がれている。

まず、ボス・ベイビーというキャラクターだ。これは明らかに、「ロジャー・ラビット」のベイビー・ハーマンをオリジナルとしているだろう。赤ん坊×おじさんというプロット自体はかなり見覚えがあるはずだ。あと、この少年の妄想好き、物語好きという設定は、初期のチャック・ジョーンズの傑作「From A to Z- Z- Z- Z」を下敷きに敷いてるという指摘をTwitterで見つけて成る程と思った。確かに序盤のフレームさばきは、かなりこの作品を連想させる。そして、それぞれ民家に忍び込んで、それぞれの家から集まり大人たちにバレないように会議をしたりする様は、ワーナー映画「キャッツ&ドッグス」を連想させる。あれは実写とCGアニメの融合だが、今作における赤ちゃんをペットに置き換えると明らかに「キャッツ&ドッグス」になる。このように、ワーナースピリットが満載なのは完全に自分得だった。

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ストーリー的には言いたいこともある。悪役はもう少し描きこんでから正体を明かすべきであるし、何か物語が終盤に行くにつれてどんどん平坦になっていく気もした。どうにも、ハイライトを置く場所を迷ったのか、全体的に中途半端な盛り上がりが何箇所かに散らばってしまった印象がある。しかし、「子供時代」という、過ぎ去ってしまったらもう戻ってこない時間に、しっかり向き合った物語には素直に感動させられた。前述した少年の、妄想癖もここで活きてくる。このようなことをできるのは今だけだと。そして、ラストのある意味帳消しになる展開で、この物語自体が、実は少年の1人遊びだったのではないかというグレー感を残す作りにもなっていて、少しほろ苦い後味も残す作品になっている。このバランス感覚が今作で最も魅力的なところだろう。安易なノスタルジーや記号付ではない子供時代への賛歌を映画で久々に見た。

 

 

 

2018年の音楽(3月)

今月に入っても正直「black panther the  albam」をずっと聞いていたのだが、今月リリースだと、やはりスーパーオーガニズムとXXXテンタシオンを時間が空けば聞いてた。

正直、前者は未知数だが後者は完全に傑作である。2000年代初期のレディオヘッドの鬱憤を溜め込んでいながら、テンタシオンらしい言葉の飛躍に持っていく。素直にグッときたし、何度も聞いてしまう。スーパーオーガニズムは、サウンドの特殊性は面白いが、正直まだ掴みきれない。裏を返せばこれから相当化けるかもしれない。

 

あとはチェインスモーカーズとショーンメンデスがそれぞれ新曲を発表した。どちらもそれほどグッときたことはないが、特に前者は自分の中で結構贔屓していて、コールドプレイの後継者は彼らしかいないと思っている(「something just like you」の脈略抜きで )。今でも「closer」はほんとすごい曲だと思っているし、「Paris」の韻の踏み方には感心させられた。いつか凄いのを出してくれると信じている。今年来日するらしいので足を運べたらと思ってる。

 

サニーデイサービスの「the city」も最近よく聞いてる。とにかくクールとしか言いようがないのだが、とっても全体的にフレキシブルな感じが個人的にはハマってるようだ。

 

そして月末、この記事を書いてる昨日に発表されたthe weakndの「My Dear Melancholy」だ。全6曲で全体尺26分の短編。相変わらず素晴らしすぎるのだが、一曲目の「call out my name」は日本では来月公開の「call me by your name」とかけているのか。だとしたら相当洒落ている。サカナクションは新曲の「陽炎」が全然ピンとこなかったので、もうあまりグッとこないのかなとも思いつつ、「モノクロトーキョー」「裏参道26時」「涙ディライト」あたりはとても好きだった。サカナクションは「ユリイカ」にせよ、東京と夜を切り取った曲に傑作が多い気がする(多分気のせいだが)。だけどしばらくは「My Dear Melancholy」の6曲を繰り返し聞いていくと思う。

 

【映画レビュー】『素敵なダイナマイトスキャンダル』

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やはり冨永監督の映画は面白い。と言いつつ、去年の「南瓜とマヨネーズ」を見逃してしまっている自分だが、「乱暴と待機」「ローリング」に続き、相変わらず面白くて安心した。今回は一代記もの。正に、日本版「ウルフオブウォールストリート」や「ブギーナイツ」かといった題材だが、内容は日本の昭和という時代へのアンセムとその時代を生き抜いたものの喜哀を切り取った作品となっていた。滅茶苦茶ビターな後味だ。

芸術は爆発だ。と言った人がいましたが、僕の場合はお母さんが爆発でした。

主人公の末井は時代が抑制したり、定めたりする、表現や芸術に不満を抱いている。だからこそ彼は時代を渡りつつ抗い続け、エロ本という、アンモラルな「表現」にたどり着くのである。人々が見たいものを見せ、自分が書きたいものを書く。しかし、徐々に彼もまた時代に抗えなくなってくる。それをしてるだけではやっていけない、厳しい現実というのがそこにはある。

一方母親はどうだろうか。峯田和伸演じる近松は、自分の芸術論を繰り広げる末井に向かってこんなことを言う(うろ覚えなので若干違うかもしれないが)。

俺たちはここにいて血が流れてる。それでいいんじゃないかな。それが芸術なんじゃないか。

つまり、ここに存在して血が流れてる俺たちこそ芸術であると。末井の母親はその時代の病に侵され、隣の息子と浮気をする。そして、2人でダイナマイトで心中するのである。つまり爆発だ。ここで序盤の「芸術は爆発だ」というあまりに有名な言葉へ繋がる。そう、彼女は芸術を爆発させて見せたのだ。時代へ逆らって。だからこそ、ラストの末井のパチンコ玉と、ダイナマイトの対比が哀く映る。芸術を爆発させられなかった男の話なのだ。

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末井は母親の逸話をネタにして様々な人に聞かせる。彼もまた結局、人の芸術をネタにしてたわけだ。実はこの映画は主人公とその母親が対比構造になる作品だ。そこが面白いところだと思う。そこに輪をかけてストレッサーとなるのが、現在の不穏こと、三浦透子演じる愛人笛子である。この彼女とのエピソードは、もう少しスムースに着地できなかったのかと若干思うが、彼女の危うさと脆さとそこはかとなく漂う不穏さは過去と現在を嫌な方向で結びつける。その暗示として、最初に末井が彼女を口説く場面で、店から彼女が出て行った後、末井の座る斜め後ろの席で、芸術を語る昔の自分のように語り合っている男性2人に向けてつまみを投げつけるというシークエンスがある。あと、末井と笛子のデートの場面で、同一画面に尾野真千子演じる母親がフレームインしてくるシークエンスも印象的だ。とても舞台的な演出だが、現在から過去へのバトンパスをとてもスリリングに捉えていた。

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冨永作品は毎回役者が魅力的だが今作も役者の映画だった。柄本佑がさすがなのは言わずもがなだが、前田敦子のベストアクトや三浦透子という才能、ほとんどセリフを発しない尾野真千子と女優陣が魅力的だった。あと、この映画の音楽も担当してる菊地成孔村上淳滝藤賢一を足したような声と風貌で、素晴らしいスクリーンデビューだった。数分の出演だったが強く印象的だった。あと、落合モトキは何に出てても良い。

冨永監督も、ここまでくると何を任せても安心できる感があるが、そうは言っても、少々エピソードを詰め込みすぎててやや忙しくなっているので、「ローリング」よりは劣るかなという正直な感想もある。だが、これはこれで誰もが楽しめるエンターテイメントになっていると思う。そして、この映画を見ると、原作者の末井昭が生きたあの時代より、今の時代の方が表現の規制は厳しいと感じる。今、末井が創刊した雑誌は当然発禁だろうし(劇中にも時代の流れによって厳しく取り締まられる描写がある)、様々な作家達が規制のないネットストリーミングで映画やドラマを作り出しているのも現状としてある。その中で、このようなエンターテイメントを普通に劇場公開し、シネコンでかけ、豪華なキャストを集めて一般映画として妥協なく表現した冨永監督こそ、現代における、あの時代の末井昭なのではないか。

 

 

【映画レビュー】『ちはやふる ー結びー』

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人間には一瞬を永遠にする力がある。

劇中、周防名人が放つこの一言が、この作品にとって全てなのだろうと思う。多分自分はこの映画を見てる間、ずっと「あの時間」に胸ぐらつかまれていた。このシリーズが描いてきた青春という時間について、今作はさらに掘り下げる。

 

思えば上下も秀作であった。だが、熱狂的に夢中になっている一部の方々と比べ、今までイマイチ自分が乗り切れなかった理由は、単純にテレビ的演出(序盤の役者陣のオーバーアクトやコメディ的シークエンスにかかるコミカルな音楽など)へのアレルギーと、何故か決定的に印象に残るシークエンスが少なかったからだろう。特に下の句の物語としてのロジックの強度、説明的描写、台詞の足し算には、少々首を捻ってしまった。しかし、今回の「結び」ではまず、全編が映画館で見ることを計算された作り、演出となっている。

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今回はいろんな人が言っているように、野村周平演じる太一の物語になっているのが大きなポイントだろう。何よりもカルタを選んできた千早と、下の句でカルタを選ぶという選択に至った新とは対照的に、太一は千早を追いかけてカルタを選ばざるおえなかったキャラクターだ。その、そもそもの動機としての不純さが、上の句ではクライマックスの物語を動かす大きな仕掛けになっていたが、その「選択」に関して、今回の結びはさらに彼を追い詰めていく。あれから2年が経ち、高校三年生になった彼らには将来という、選択肢を選んでいかなければならない大きな壁がある。そこから太一が、自分の中でカルタから引いていく過程が、シャーペンの芯の折れる様子など映像的シークエンスで示されていく。白眉はやはり太一が予備校を出ていくとき、部屋のライトが手前から奥に消えていき、スクリーンのの隅っこに太一が置かれるシークエンスだろう。太一の心の孤独、置いてけぼり感を、周りが真っ暗な映画館という空間を生かし見事に演出していた。勿論言わずもがな、千早との踏切のシーンも。あそこのカメラワークの崩れ方、役者2人の熱演、スパークルする逆光。凄まじいシークエンスだった。

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そんな彼の物語は、賀来賢人演じる周防名人と出会うことで、自分にとってカルタはなんだったのか、自分はどこにいるべきなのかという、自己理解とアイデンティティ、そして「強さ」を見つけるまでの物語になっていく。周防名人と太一のこの師弟エピソードがものすごくいい。耳に手を当てるという細かい描写から彼らの継承が積み重ねられていく。太一は言ってみれば、何も選んでこなかった男なのだ。カルタも勉強も千早も、全部を守ってきた男だ。だからこそ、そんな彼が受け継ぐのは、正に「守りのカルタ」なのだというラスト、そこからのクライマックスは青春を超えて将来をかけていく。全てを守るということを彼は「選択」するのだ。

 

一方、千早にも変化がある。太一が去ってしまったカルタ部の部室に1人いる千早。そんなところに彼の幻影が見える。そこでいつもそばには太一がいたことに気づく。自分がなんのためにカルタをしていたのか。彼女の、ただ好きだから、楽しいからという動機がここで崩れるのである。何故好きだったか、楽しかったかといえば、太一と、「みんな」とできたからなのである。これに気づいた千早は涙を流す。そこのシークエンスから不意に、上の句、下の句にフラッシュバックし立ち戻る。あの時の全てはこのためにあったのかと。正に運命じゃない運命線、全ての繋がりが、青春を超えた人生へとリンクしていく。

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そんな2人が改めて対面する最終戦は、久々に映画で本物のカタルシスを味わった。ここでの千早の身につけていた紐の真実と、それを受け取る太一も含め、彼らの全てが結ばれる。正にこれまで積み重ねてきた青春の本番が繰り広げられるのだ。

 

カルタはいわば一瞬にかけるスポーツである。一瞬の動きと呼吸。それは正に、全ての出来事が瞬足な青春だ。しかし、最後運命線になる「恋すてふ」と「しのぶれど」は上白石萌音演じる奏が説明するように1000年前の戦いだ。その戦いが、今に受け継がれ、決着するのである。一瞬が1000年後になり、永遠になる。そしてそれを繋ぐのは継承だ。受け継ぎ、受け継がれ。3部作でここまでの領域に達したのが、この映画を特別なものにしているだろう。一瞬の青春に向き合い、その先の人生を描き出してみせた。エンドロールのアニメーションは劇中の1000年前の物語を語る時のアニメーションと同じだ。正に、この物語が1000年後に受け継がれていくように。このロマンスとドラマチックな時間の蓄積はラストカットに映る千早の横顔の永遠を託された凛々しさと風格が体現している。このラストカットだけでも、たった3年のシリーズの集大成とは思えない、2010年代の日本映画の一つの到達点だと言えるだろう。

 

 

 

 

 

 

【ドラマレビュー】『anone』

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傑作だった…という言葉しか出てこない。これは1話ごと感想を書いていくべきだったが、なんとか総評を残しておく。個人的には昨年の「カルテット」も凄かったが、今作で描かれるニセモノとホンモノこそ、坂元裕二という作家の一つの到達点だと思う。

 

「mother」「それでも生きていく」「woman」「いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう」「カルテット」…。近年の坂元裕二作品における、男と女、親と子供は嘘や偽りによって繋がる。嘘をつき、自分を偽り。そんな人々を描いてきた坂元裕二だからこそ、今回の偽り、つまりはニセモノを、完全否定するのではなく、振り回されながらも、彼らには必要なものだったと思わせる優しい目線が展開される。ニセモノによって振り回される大人たち、ニセモノによって守られてきた子供。この大人と子供の対比構造が1話目であったが、その、振り回しが最も極に達したのが3話目であると思っている。そして、後半はやがて大人たちもニセモノに内包されていく。その様は幸福そうでありつつ、同時に弱くて脆いものに見える。この不穏さを一手に引き受ける瑛太の怪演も素晴らしいが、しかし確実に何かが奥底でホンモノになっていく感覚は坂元裕二作品特有のエモーショナルだろう。

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「問題のあるレストラン」「いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまうだろう」「カルテット」とここ近作を見てみると、「mother」「woman」「それでも生きていく」にはあった、血縁という要素から一歩引いた作風になっているのがよくわかる。今回の「anone」も正に、血縁に裏切られた孤独なもの同士のバイブスが出来ていくのである。そして今回はそれがとても強調され一つのテーマになっている。全然関係ない映画だが、「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」がそうであったように、血縁以外のものから生み出される「縁」であり「居場所」の話なのだ。

今作の中での孤独な人々は元々独りだったわけではない。その前に「断絶」があるからこそ本物の繋がりを手に入れられるのである。今作は第9話のハリカと彦星のカーテン越しの胸痛む会話に代表されるように、目に見える断絶も勿論、その以前にあった主人公たちと、家族との断絶もしっかり見えるような作りになっている。この周りの血の繋がっているものも決して放り投げはしない。彼らの人生も同時に想像させ見せてくれる。画面に映ってない部分、人生までをも見させてくれただけで、物語を描いた映像作品として、今作は一段上の段階に行っていると言っていいだろう。

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水田伸生の演出もベストワーク。特に今作を特別なものに引き上げてるのは、照明の演出だ。第3話の浜辺の光の当たり方、第4話の小林聡美と幽霊との最後の会話のシークエンスなど。画面における白と黒をどう広げ、どう使うか。とても計算し尽くされていた。本当だったら1話1話見ていきたいほどだが割愛。この特殊な照明演出が、地上波ドラマというより、是枝裕和作品や、岩井俊二作品を見てるような感覚に陥った。撮影、音楽の落ち着いた格好良さも流石。

役者陣も素晴らしい。役者の名前を並べるだけになってしまうが、広瀬すずの虚ろかつ、過去が透けて見える目の演技は完全に彼女の女優としての成長が見えるし(先日見た「ちはやふるー結びー」と合わせて)、表面的な強さと内面的な脆さを兼ね備えた小林聡美はこの間「スリー・ビルボード」を見て、日本のフランシス・マクドーマンドは彼女しかいないと強く思った。去年の「彼女がその名を知らない鳥たち」で演じた役から汚さと下品さを取ったような阿部サダヲもベストな配役だった。この作品における不穏さを一気に担う瑛太も素晴らしい。とにかく不穏かつダークな路線へと転がらせる唯一のキャラクターとしてとても素晴らしかった。その他の、言葉が通じない人こと川瀬陽太や、最近の彼女でもベストな江口のりこや、火野正平の深く渋くて切ない演技も。そして何と言っても田中裕子だ。彼女の、敬語になるタイミングを絶妙に効かせた会話劇には何度も胸が掴まれた。一見平凡な中年女性が、ダークサイドな犯罪に取り憑かれていってしまうサスペンスとしても、彼女を軸にこの物語を語れるほどであった。

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孤独なものたちのヒューマンドラマでもあり、犯罪サスペンスでもあり、恋愛ドラマでもあり、ファンタジーでもある本作。とてもジャンル分け不能だが、あえて言うのだったら、これは明らかに近年の国内ドラマ群の中でも一線を画した映像作品だ。これだけ物語の尺とそれに合ったプロット、そしてそれに答える脚本と演出が洗練された国内ドラマも久しく見ていない。そして海外ドラマを合わせて見ても、今年、こんなにクールな視点で、犯罪、家族、死者を描いたドラマが他にあっただろうか。この点だけを見たとしても、確実に2010年代の日本のテレビ界が産み落とした奇跡的傑作だと断言できるだろう。

 

 

 

 

 

 

【映画レビュー】『ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男』

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試写で鑑賞。実話、伝記もののこのようなタイプの映画は数多くある。言ってみれば、アカデミー賞が好みそうな作品という言い方ができるような作品群だ。そんな中でも、イギリスの伝説的首相、ウィンストン・チャーチルを描いた今作は、比較的コンパクトかつ分かりやすく、入り込みやすい内容となっていた。

 

まず、この作品が描く期間だ。伝記ものとなると、その人の人間性を描くのに、その人の人生を描くという方法をとりがちだが、今作は、1940年の5月という限られた短い期間に限定されている。そこがこの映画のテンポの良さと、ギアの軽さに繋がっている。個人的に、この構成を見てダニー・ボイルの「スティーブ・ジョブス」以降の伝記物という感じはしたが。その人の人生で描く部分を最小限にした上で、その人の人間性がわかる細かい描写やエピソードを積み重ねていく。さらに、今回はダンケルクでの救出作戦の裏側という、とても分かりやすい「題材」があるので、滅法見やすい作りになっている。去年、その救出作戦を戦場の視点から見た作品として、クリストファー・ノーランの「ダンケルク」があったおかげで、裏ダンケルクとも言われていたが(両作品ともオスカーにノミネートされたのも面白い話だ )。歴史的背景と人間的背景を両方描き切ることに成功している。

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撮影も良かった。ティム・バートン作品の「ダークシャドウ」や「ビッグアイズ」、コーエン兄弟の「インサイドルーウィンデイヴィス 名もなき男の歌」などを手がけた撮影監督ブリュノ・デルボネルが手がける、全編灰色の、薄黒い雰囲気がとても良く、しかしその中でもふと光を当てたり、白の部分をどう広げるかなどの明るい場面もとても考え抜かれた撮影をしていた。そして何と言っても監督のジョー・ライトだ。割と幅広いジャンルの作品を送り出してきた中で、流石「つぐない」や「プライドと偏見」という文学的なヒューマンドラマを手堅く作ってきた。そんな彼が、今回の伝記もので、従来の型を脱して、コンパクト性を重視した作りなのは少々驚いた。「PAN ネバーランド、夢の始まり」のときの語りの手さばきの悪さとは大違いだ。

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だが、やはりこれはゲイリー・オールドマンの映画だろう。辻一弘のメイクで一見、面影も無くなった見た目ながらも、実際に見てみると「レオン」の頃からの蓄積が見える、ゲイリー・オールドマンらしい怒りと弱さが見え隠れする演技だった。そのおかげで脇の人たちの存在感がかなり薄くなっているのは否めないし(そうは言ってもクリステン・スコット・トーマスは相変わらずうまい)、もう少し大仰な音楽を抑えられなかったのかとも思ったが、彼のパフォーマンスを見るだけでも料金分の価値はある映画になっている。

 

 

【ドラマレビュー】『ビッグ・リトル・ライズ』シーズン1

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去年エミー賞を総なめにした「ハンド・メイズ・テイル/侍女の物語」を見るために、やっとHuluに入会したのだが、HBO系のドラマが今月いっぱいで配信終了するらしく、急遽そちらのドラマの消化に入った。そのうちの一本である今作「ビッグ・リトル・ライズ」も去年のエミー賞で話題をさらった作品だ。そしてこれが抜群に面白く、3日で全7話を観てしまった。

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アメリカには所謂中年妻ものというジャンルが一つある気がする。「セックスアンドザシティ」や「デスパレードな妻たち」など。勿論日本でもそのようなドラマはあるかもしれないが(所謂ドロドロと言われるやつ)。この作品はそのような従来のゴシップドラマへのアンチテーゼとして成り立っている一方で、デリケートでとてもセンシティブなミステリーの構造も堂々と持ち合わせているのだ。ここがとても新鮮だったし、所謂この物語をドラマにする意味というものを強く感じさせた。7時間かけて描く人間関係のスライドによって、決定的な「あの夜」になだれ込んでいく構成はとてもスリリングであり、最終話の全ての点が線になって繋がっていくクライマックスには鳥肌がたった。そこで、このタイトルのほんとうの意味が分かるラストも含めて、正に時間をかけて物語を語るドラマならではのカタルシスだった。

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そして、このドラマの最大の魅力は役者陣だった。ニコール・キッドマンの、特に終盤にかけての演技は、彼女のキャリアでも五本の指に入る名演なんじゃないかと思う。とにかく何もかもを受けていく壮絶な役で、だからこそ終盤のセラピーでの感情の発露と、車の中の会話は切なく胸が痛むものになっていた。そして、その弱く脆く、だからこそ束縛的で暴力的な夫を演じたアレクサンダー・スカルスガルドも、自身のキャリアハイな演技を見せていた。あの円らな目と彼の高身長を生かした歩き方に満ち満ちている狂気の表現は素晴らしかった。

リース・ウィザースプーンも素晴らしかった。ヒステリックさも込みで所謂煩いおばさんの演技をしてみせた。あの最高なゲロや、少女らしさもふと見せるところとか、彼女にしかできなかったろうと思った。他にも、シャイリーン・ウッドリーのシングルマザー役や、ローラ・ダーンの中盤に見せる表情の怖さなど隅々まで豪華かつ的確なキャスティングをしていたと思う。最終話でゾーイ・クラヴィッツに歌わせるのも、彼女自身が歌手であることをネタにしたちょっとした遊びとしてとても良いと思ったり。

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このドラマ、前述したように全体の構成が見事すぎるのだが、やはり最終話が素晴らしかった。あのエルヴィスとオードリーの夜での、視線のぶつかり合いは、ほとんどセリフなしで、映像でしか伝わらないシークエンスだった。自分はこのドラマを「妄想」と「表情」のドラマだと思っている。こんなはずじゃなかった生活や人生に対する、破壊欲や願望、そしてそれがついに現実になってしまうあの夜まで、彼女たちの表情(表の顔)は変わり続ける。周りから見た人間関係が必ず当人たちの間で想像したものと一緒かは限らない。それは第1話から繰り返される数々の証言を見ていってもそうだ。「女は許せない生き物だ」「彼女たちはおかしい」。これらの決めつけと偏見へのアンサーととれる、ラストの浜辺の彼女たち。そこにかかるのはローリングストーンズ「You Can't Always Get What You Want」のカヴァー。

 

You can't always get what you want
You can't always get what you want
You can't always get what you want
But if you try sometimes
well you might find
You get what you need

ほしいもんがいつも手に入るとは限らない
ほしいもんがいつも手に入るとは限らない
ほしいもんがいつも手に入るとは限らない
でもやり続けりゃ
時々は本当にほしいもんが

手に入るかもしれないな

決してハッピーエンドではないものの、どこか爽やかなものを感じさせる。まさか、こんな後味を残す作品だと思わなかった。それこそ「セレブママの憂鬱」なんてタイトルは似合わないラスト。拍手を送りたくなる、とってもクールな幕引きだった。